7号室 妖精ミル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直の所に顔見知りの妖精、ミルがやってきたのは、いつものように仕事を終えて
返って 来た時だった。ミルは直が玄関のドアを開けた途端、いの一番にこう
言ったのだ。
「おっそい、ナオ! 一体いつまで仕事してるんだよっ」
「お前はいつから俺の女房に なったんだよ」
自分の膝くらいの背のミルを見下ろしながら、直はリビングへ行って カバンを
ソファーに投げ出し、ネクタイを緩めた。そのままごろりと横になろうとする
直を、ミルは慌てて起こそうとする。
「んも〜、寝てる場合じゃないんだってば!大変なんだよっ」
「あのなぁ、俺は今日一日あちこち歩き回って疲れてんの。話なら今度にしてくれ」
妖精の気紛れに付き合えるほどの余裕はなし。大変な事といってもどうせ大した
事でもないだろうと、直は全く取り合おうとしなかった。そんな 彼に見るは
むぅっと頬を膨らませると、不満たらたらの声で言った。
「あっそ、それなら別に良いよっ。リゥ様は僕達だけで探すから。ナオに協力頼みに
来た僕が馬鹿だったっ」
リゥという名前を聞いて、直はがばっと体を起こした。すねてそのまま帰ってしまおうと
するミルの肩を慌てて掴んだ。
「ちょ、ちょっと待てよ。リゥを探すってどういう事だ」
「何だよっ。話聞く気ないくせに」
離せと言わんばかりにじたばたと暴れるミルを、直はなだめにかかった。
「悪かったって。本当に大事な話だとは思わなかったんだよ」
それじゃあまるで狼少年じゃないか。とミルは言いたかったが、寸でのところで止めた。思えば、今まで自分が大変だと言って直の所に駆け込んで来たのは、本当の所直で
遊んでやろうという魂胆があったからだ。今までの経験から言って、直がミルの
言うことを真に受けなくなっても何ら不思議ではなかった。
「なぁ、リゥを探すってどう言うことなんだよ」
いくらミルの言葉に信頼性がなくなったといっても、リゥの事になると話は別らしい。
「二、三日前から行方不明なんだ。もう随分探したんだけど、全然見つからなくて」
「『扉』を使った形跡は?」

人間界と妖精界をつなぐ『扉』は、人間も妖精も特定の者 しか通る事が許されて
いない。人間は、『扉』を見る事が出来る特殊な目を持つ者。妖精は、使用人などの
下級レベルの者のみ。ミルは妖精界の王女であるリゥの使用人だった。
それを説明すると、直は難しい顔をして腕組みをする。
「人間だけじゃ なくて、妖精も『扉』を通れる奴は限定されてるんだな。
という事は、リゥは王女様だから『扉』を通る事は出来ない。だから、妖精界にいるのは間違いないな」
「うん、そうなんだけど……どこを探しても見つからないんだ」
妖精が総出で探しても見つからなかったんだから、人間である自分にはもう出来る事は
ないんじゃないか…と 直は思った。けれど、大切なお姫様がいなくなって元気を
なくしているミルを見ると、 そんな事はとても言えない。
「分かった。とりあえず、俺も探しに行くよ」
「えっ、ホント!?」
ぱっと顔を輝かせる見るに苦笑して頭を撫でてやると、直は妖精界への扉へ向かった。
王女リゥは、案外簡単に見つかった。それもそのはず、 リゥは妖精には感知できない
『結界』を張って、その中に隠れていたのだから。場所は 、何と城の裏にある
湖だった。何を考えて人間の自分にしか見つけられない結界を
 張ったのかと首をかしげながら、直はリゥに近づいていった。太陽の光をそのまま
糸に 紡いだような豪華な長い金髪と、紫水晶をはめ込んだような澄み切った瞳。
そして、背中から生えている半透明の羽根。それら全てが、芸術品のように美しい
王女リゥは、 直の方を見て小さな桜色の唇に微笑みを浮かべた。
「きっと来てくれると思った」
「あのねぇ、リゥ」
「なぁに?」

「君が急にいなくなるもんだから、妖精の皆さんが心配して探してくれてるのに、
そんな言い方はないでしょーが」
王女の気紛れに付き合わされた方々が気の毒ではないのかと呆れたように言う直に、
リゥはしゅんと俯く。
「だって……どうしても直に来てもらいたかったんだもん。私はあの『扉』を
 通れないし」
「それなら、ミルに言伝を頼むなりすれば良かったじゃないか」
雲隠れまでして皆を巻き込む事ではないという直に、リゥは首を横に振った。
「駄目よ。直にここを見せたいだなんて言ったら、反対されるに決まってるもの」
「俺たちには秘密の場所なのか、ここは」
「ううん、そういうわけじゃないけど。でも 人間に見られて愉快だと思う人はあまり
いないでしょうね」
「何で……?」
湖は、鏡のように太陽の光や周りの自然を映している。こんな綺麗な所を見られて、
何を 不満に思う事があるというのか。
「ここはね、『妖精の母』と呼ばれている所なの」
「妖精の母……?」
何が何だか分からないと眉を寄せる直に、リゥは唇に人差し指を当てた。
「もうすぐ始まるわ」
「??」
頭の中を?マークが飛び交う直。そんな彼の前で、信じられない事が起こった。
それまで波一つなかった湖が一瞬光ったかと思うと、 中からゆっくりと光の球が
浮かび上がってきた。それはやがて輪郭をとり始め、一人の 妖精を創り出す。
この湖は、妖精が生まれる場所だったのだ。「あ……」ぽかんと口を 開けて呆然と
その光景を見ていた直に、生まれたばかりの裸の赤ん坊妖精が小さな羽根を動かして
飛んできた。リゥと同じ、金髪に紫の瞳を持つ妖精はじっと直を 見つめていたが、
飛ぶ力が尽きたのかふっと落ちそうになる。直は慌ててその子を 抱き上げた。
温かくて、柔らかい。どうやら幻の類ではないようだ。ほっと息をつく直に、
リゥは言った

「ナオ。その子に、名前をつけて欲しいの」
 「名前って、俺が!?」
生みの親でもないのに勝手にそんな事をしてもいいのかと目を 見開く直に、
リゥも驚いたように目を丸くした。
「嫌だ、忘れちゃったの? いつか妖精の名付け親になりたいて言ってたじゃない」
「ああそうだっけ」
言われてみれば、 そんな事があったような。すっかり忘れていた。リゥが
呆れたように肩をすくめてから 腕を組んだ。
「ナオ、もしかして今日が自分の誕生日だって事も忘れてない?」
「そう言えば」
妖精が生まれる瞬間を見せてくれたのも、赤ん坊の名付け親になってくれと言ったのも、直への誕生日プレゼントだったのだ。
「ありがとう、リゥ。すごく 嬉しいよ」自分の為に妖精界全土を巻き込む事まで
してくれたリゥに、直は心の底から お礼を言った。リゥも、満面に笑みを浮かべる。
直は自分と同じ日に生まれた妖精を見下ろして、言った。
「そうだな、君の名前はティティスがいいな」
思い付いた名前に 満足げに頷いて、赤ん坊を持ち上げた。
「君の名前は、ティティスに決定!」
生まれた 日にもらったプレゼントに、ティティスは嬉しそうにキャッキャと笑った。

 

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