●4号室 坊や
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

生まれた時から、僕はずっとくらやみの中にいた。辺りが真っ暗なのか、それとも
僕自身目が見えていないのかは分かんない。ま、どっちにしろ同じだけど。
先刻も言った通り、僕は“光”と言うものを見た事がない。だから何も見えなくても
不満はなかった。ここはあったかくて気持ち良いし、時々誰かがやってきて僕に
話しかけてくれるから、ちっとも寂しいとは思わなかった。でも一つだけ、不便だと
思う事があるんだ。それは、僕は一日中じっとしていなくちゃいけない事。僕だって
皆と同じように動き回りたいのに、身体が言う事を聞いてくれないんだ。まるで、
僕の 身体が僕の物じゃないみたいに。
「やぁ、坊や。ご機嫌いかが」
僕がいつもの通り考え事をしていたら、トキノおばあちゃんが声をかけてくれた。
彼女は僕に、いろんな 言葉を教えてくれたんだ。“光”や“温かい”というものが
なんなのかとか、全部。知らない事は何もないって言うくらいいろんな事を知っている
おばあちゃんだけれど、一つだけちゃんと答えてくれない事があるんだよね。
それこそが、僕が一番知りたい事なのに。
「ねぇ、おばあちゃん。どうして僕は、おばあちゃんみたいに動けないの?
いつになったら、歩けるようになるの?」
「坊や……」
おばあちゃんの悲しそうな、困ったような声が聞こえる。でも僕は、どうしても知りたい。
おばあちゃんが困るって 分かってても、それが僕の一番知りたい事だから。
「おばあちゃん、僕知りたいんだ。 どうして僕が自由に動けないのか、教えてよ」
すると、やっぱり小さい声で返事が帰ってくる。
「そんなに動きたいのかい、坊や」
「うん。だって、ずっとこの場所にいるだけじゃ退屈なんだもの」
「そうかい……」
おばあちゃんが、小さく息をつく音が 聞こえる。話してくれる気になったのかな。
でも聞こえてきたのは、おばあちゃんのしょんぼりした声だった。
「私の所為だね。光の事なんか教えてしまったから、かえって坊やに辛い思いを
させて……」
それが今まで聞いたこともないくらい、あんまり悲しそうな声だったから僕は慌てて
言った。
「そんな事ないよ! おばあちゃん、言ってたじゃないか。光は全ての生き物に恵みを、
青い空は希望を、笑顔は幸せをくれるって。僕、そのお話を聞くのが一番
楽しかったんだよ」
「坊や…」
「僕の周りには、光がない。生まれた時から、ずっとそうだった。だから、
僕にとってはおばあちゃんが光なんだ。だって、おばあちゃんが僕に恵みや、希望や、
 幸せをくれたんだもの。おばあちゃんがいてくれたから、僕は今までちっとも
寂しくなんかなかったんだよ」僕はなんて悪いやつなんだろう。ずっとずっと僕に優しくして
 くれたおばあちゃんを困らせて。「ごめんなさいおばあちゃん、困らせるような事
言って。もう言わないから、安心して」そうさ。あんな悲しい声を聞くのに比べたら、
 動けない事なんかなんでもないよ。
「私のほうこそ、ごめんよ。時期が来るまでは黙っていた方が、坊やの為だと
思ったんだよ」
「時期?」一体、何の事だろう。
「あと少しで、坊やは外へ出られるよ。そうすれば思う存分光を浴びたり、青い空を
見ることが出来るよ」
「本当なの? 本当に、光を見られるの?」
「もちろんだよ。外の世界は、それはそれは素晴らしい景色なんだ」
「“外”ってなに?僕、初めて聞いたよ」
初めて聞く言葉なのに、どうしてこんなにどきどきするんだろう。一体、どんな
所なのかな。おばあちゃんも、楽しそうな声で言った。
「それも、もうすぐ分かるよ。楽しみにしておいで」「うんっ」
「ただね……」
どうしたんだろう、おばあちゃんの声がまた悲しそうだ。
「ただ……なに?」
「坊や。坊やは今はこの中に いるけれど、外に出たらもう二度とここへは戻って
こられなくなってしまうんだよ」
「え……それって、おばあちゃんとも会えなくなっちゃうって事?」
「そうだね。もう すぐ、お別れの時がやってくる」
ちくりと、胸になにかが刺さったような感じがした。
先刻までのわくわくも、どこかへ行ってしまった。急にお別れなんて……。
「嫌だよ… 嫌だよ、そんなの!」
「私も、坊やとお別れするのは寂しいよ」
「だったら僕、 “外”へ出るの止めるよ!光なんて見えなくてもいい!おばあちゃんがいてく
 れるなら、僕なんにもいらない!」
「……ありがとうよ、可愛い坊や」
 おばあちゃん、泣いてるのかな。ぐしぐしって音が聞こえる。
「坊やだけだったよ。仲間のモグラ達から変わり者扱いされている私を、
“光”だと言ってくれたのは」
「え……?」
「忘れないよ。永遠にね」
おばあちゃんがそう言った途端、僕は自分の身 体がふわりと上がっていくのを感じた。「
おばあちゃんーっ!」
……そこで、僕の頭の スイッチはぷっつりと切れた。次に気がついたのは、楽しげな
声が聞こえた時だった。
「ママー! ねえ、見てみて。さやかがお庭に埋めたお花の種、芽が出てきたよ!」
「えー、どれどれ?」
そこは、どこまでもまっくらな所じゃなかった。僕は、生まれて はじめて動くものを
見た。……あぁ、そうか。これがおばあちゃんの言ってた『人間』 っていうやつなんだ。
そんな事をぼんやりと思っていると、僕を見下ろしていた二人の 人間のうち小さい
方が、にっと歯を見せた。
「可愛いなぁ。ねぇママ、きれいなお花咲くかなぁ」
すると、ママと呼ばれた人間も同じような顔をした。
「そうね。さやかちゃんが大事にしてあげれば、きっと咲くわよ」
「本当!?よ〜し、さやかがんばってお水やりしちゃうもんっ」
……何だろう。この二人の今の顔。見てるととっても胸があったかくなってくる。
そうか! これがおばあちゃんの言ってた『笑顔』なんだ。それじゃあ、僕の上に
あるのは『青い空』で、なんだかきらきらして あったかいものが『光』
なんだ。すごいや。おばあちゃんの言ってた事は、本当だったんだ。
だって今、すごくわくわくしてるもの。きっと僕ががんばれば、
ママもさやかちゃんも喜んでくれる。どうしてそんな事思ったのかはやっぱり
わかんないけど。
「お花ちゃん、おはよう!」
さやかちゃんは毎日僕に声をかけてくれて、お水をくれる。僕が今立っているこの
『土の下』にいた時も、こうやってくれてたんだろうな。僕は彼女にきれいなお花を
見せてあげたくて、思い切り背伸びを した。……そうして何日かが過ぎて、僕は
抜けるような青い空と温かな日差しの中で花を咲かせた。いつものようにやってきた
さやかちゃんは僕を見て、ぱっと輝くような 笑顔を見せてくれた。
「ママ、ママー! お花が咲いたよ! とってもきれいなの!」
「まぁ、本当? 良かったわねぇ。さやかちゃんががんばったから、お花さんも
がんばってくれたのよ」
「うんっ」がんばって、良かった。二人の笑顔を見て、僕は心の底からそう思ったんだ。
きっとこれが、『幸せ』って言うんだろうな。……ね、おばあちゃん。
 
 
 
 
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