14号室 陽気な幽霊
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いかにも自殺者が来そうな断崖絶壁の岩壁のある海岸。そこに、二人の青年が
腰掛けていた。少し強風が吹いただけでも真っ逆さまに海へ落ちて行って
しまいそうな岩場であるにも関わらず、彼らは安全柵すら越えて悠々と
座りこんでいる。端から見ているほうが、怖いくらいだ。しかし、彼らは
お構いなしである。何故なら彼らにはもう、怖いと思うものなどないのだから。
「なぁ、タケシ」
「なんだい、トシキ」
周りの景色をぼんやりと眺めていたタケシは、不意に声をかけてきたトシキに
向き直った。
「お前がここに来てもう随分経つけど、まだ一回も聞いてなかったな」
「何を?」
「決まってるだろ。お前が、ここで自殺した理由さ」
そう。彼らはもう人間ではない。この岩壁から飛び降り自殺した、いわゆる
幽霊なのだ。「俺があれだけ『説得』してやったのにも関わらず海の藻屑と
なりやがったからには、よっぽどのワケがあったんだろ?」
タケシはあからさまに嫌そうな顔をして、そっぽを向いた。
「何で君に、そんな事話さなくちゃいけないんだよ」
「だって気になるじゃん。お前忘れたの? 飛び降りる直前にさ、『ちなみ、
さようなら君の事は忘れないよ』って、独り言呟いてたんだぜ」
「…………!」
 
まさか聞かれていたとは知らなかったタケシは、耳まで血の気が上ってくるのを
感じた。そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、トシキはさらに言った。
「なぁなぁ、自殺した理由ってさ、彼女に振られたとか言う? もしかして」
「…………悪いかよ」
「…………」
黙り込んでしまったトシキを見ると、彼はいかにも、呆れた〜と言いたげな顔を
していた。
.「分かってるよ。君の事だから何でそんな事で自殺なんかしたんだって
言いたいんだろ」
「うん。良く分かったな。大正解だ」
「でも僕は、真剣だったんだ!」
相手にはその気はなくても何だかからかわれているような気がして、タケシは
悔し涙を浮かべて怒鳴った。するとトシキは、にっこりと笑った。
「うん、それも分かる。でも彼女の方は、まともに取り合ってくれなかったと」
「あぁそうだよ! 大正解だ!」
「お前のその態度見りゃ、誰でも分かるさ」
「…………」
 
ここに来てからもう随分経つが、タケシは未だ目の前にいる男との口ゲンカに一度も
勝てずにいた。柳を相手にしているようだ、とはこの事を言うのだろう。
いつもムキになるのは、タケシのほうだ。冷静になれ、と心の中で何度も呟いて
気持ちを落ち着かせるのが、すっかり日課となってしまった。
「そう言う君こそ、どうなんだい」
「何が?」
「自殺した理由だよ。僕にばっかり言わせておいて、自分は言わないつもり?」
トシキが口をへの字にするのを見て、タケシは初めて自分が有利になったと感じた。
が、それは気の所為だった。トシキは鼻から息をつくと、にっと笑った。
「俺の理由なんか、お前のに比べたら実に下らねーぜ。それでも聞きたい?」
「是非とも聞きたいね」
脅かしたって通用しないと言わんばかりに胸を張って言ったタケシを、さらに
探るような目でトシキが見る。
「絶対後悔すると思うけど、それでも聞く?」
「くどいな。さっさと言えよ」
実を言うと、ちょっと迷いが生じているタケシだが、今更引いたらそれこそ
トシキに馬鹿にされそうな気がして、あくまでも意志を曲げないと言う態度を示した。
「そう。それなら言うけど」
「あぁ。言ってくれ」
本当は耳を塞ぎたいタケシだったが、やっぱり意地が先走って出来なかった。
そしてとうとう、トシキが口を開いた。
「俺ね、人間でいたくなかったんだ」
「…………は?」

「って言うか、幽霊ってやつに憧れててさ、いつか絶対なってやるって思ってた
ワケよ。まぁ、この姿を見ても分かる通りその夢は見事成就できたわけだけどさ」
「……つまり人間関係とか金銭状況がもつれたとか切羽詰ってたわけじゃ、
ないんだね」
「そういう事。そんなんだから、俺がここから飛び降りた時なんか大騒ぎだったぜ。
友達も大勢いて、親子関係も良好。特に悩みなんぞなかったやつが、何で急に
自殺なんかしたんだってな」
「…………」
タケシが無言で睨み付けると、トシキはワザとらしく咳払いした。
「ま、まぁ。親やその他皆さんに迷惑かけた事は、重々反省してるよ。
罪滅ぼしだって、ちゃんとやってるだろ?」
「君の身勝手に振りまわされた人達には、心の底から同情するよ。罪滅ぼしに
ついては、認めるけどね」
「だろー? あ、ほら。ウワサをすればなんとやらだ」
トシキの視線を追ってみると、成程、一人の男性が力ない足取りで歩いてくる。
年齢は四十代半ばと言った所か。
「はぁ〜……」
地面に落ちたら穴が開くんじゃないかと思われるくらいに重々しいため息をついて、
男は崖の安全柵に手をかけた。
「俺はもう駄目だ。借金も返せないくらい膨れ上がっちまって、カミさんにも
子供にも逃げられちまうし……」
「自殺の理由としては、割とポピュラーだな」
男には聞こえていない事をいい事に、とんでもなく無責任な発言をするトシキを、
タケシがたしなめる。
「そんな事言ってる場合じゃないだろっ。早く止めないとあの人、今にも柵を
乗り越えてきそうだよ」
「わかってるって。行こうぜ」
幽霊な彼らに、どうやって生身の男を止められるというのだろうか。
二人は男に近づくと、それぞれ彼の両脇に立った。
「おじさん。ここから飛び降りて自殺なんかしても、天国へは行けませんよ。
考え直して下さい」
「そーそー、死んだって良い事ないよー。ま、俺は自分の夢を叶える為に自分で
望んで死んだから、それなりに楽しいけどさ」
「トシキっ」
「そんな怖い顔すんなって。ちゃんと真面目にやるってば」
トシキは空ろな目で崖の下を見つめている男の肩に、手を置いた。
「なっ……!」
幽霊に触れられた事で寒気を感じたのか、男は目を見開いてびくりと身を
震わせた。きょろきょろと辺りを見回すが、もちろんトシキ達が見えるわけでもない。
「な、何だろう……急に寒気が」
「ここから飛び降りて死んだら、おっさんもこんな風に体温もない冷たいだけの
幽霊になっちまうんだぜ。それでも良いのか?」
「そ、そうですよ。今は苦しいかもしれませんが、がんばればきっと良い事
あります」
「お前ってばクソ真面目な『説得』しか出来ないのかよ」
「君と違って、脅かすのが苦手なだけだよ」
 
そう。幽霊な彼らが、自殺しようとやってくる人間をどうやって止めるのかと
言うと。ひたすら「死んでも良い事ないよ」と説得するのだ。姿は見えないし、
声も聞こえないけれど、感覚としてその言葉は届いている。『寒気』となって。
一度死んだ事がある彼らの言う事だから、説得力の程は言うまでもないだろう。
実際トシキとタケシがここに来てからは、自殺者は一人も出ていない。
この男も、折れるのは時間の問題だった。
「な、何かものすごい寒気が……今日は止めておこうかな」
男は自分自身を抱きしめながら、二度と戻るはずのなかった道を戻って行った。
「説得成功ってか」
満足げに呟くトシキ。けれどタケシは何だか浮かない顔をしている。
「どうした、タケシ。元気ねーな」
「いや……君は凄いなと思ってさ」
言った途端、おでこに手を当てられてしまった。タケシはムッとして唇を
尖らせる。
「幽霊に体温がないって言ったの、君だろ!?」
「い、いや。急にらしくない事言い出すから、つい」
苦笑いを返すトシキに、タケシは半ばやけっぱちに言った。
「冗談じゃなくて、君は凄いと思うよ。あんなに暗い顔して自殺しに来た人を、
いとも簡単に帰しちゃうんだもの」
男が消えて行った道を見て、ため息をつく。
「僕じゃ、あんな風に出来ないな」
今度は言った途端に頭をはたかれてしまった。
「いたっ、何するんだよ」
「他人と自分を見比べるな」
怒った顔でそういったトシキは、次の瞬間ぱっと笑顔になった。
「俺の持論だ」
「へ……?」
「俺には俺の、お前にはお前の良い所がある。そんなの、比べてもしょーがねーだろ」
 あっけらかんと言い放つトシキに、タケシも笑顔になる。
「そうだね……君の言う通りだ」
「そうゆう事。あ、オイ、久しぶりにお客さんが来たぜ」
「本当だ」
 彼らの言うお客さんとは、心霊写真が撮れると有名なこのスポットで写真を
撮りに来た人たちの事だ。今日は、若い女のコが五人ほど。
「おおっ、ギャル(死語?)じゃん! よーし、張り切ったるでぇ」
女のコ達はここで心霊写真が撮れるんだって、とか、本当に映ったらどうしよう、
などと言っている。自分達の後ろにもうすでに幽霊が二人、スタンばっているのも
知らずに。
「はい、チーズ!」
女のコ達の中にちゃっかり混じってピースなんかしながら、タケシは隣にいる
やたら明るくていい加減な相棒と、これからも上手く付き合っていこうと考えていた。
数ヶ月後。女のコ達の取った写真は、世にも奇妙な、ピースをしている幽霊の
心霊写真として世間に公表される事になる。
 
 
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