13号室 真夜中にかかる橋
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日は、朝から雨だった。墨を流したような雨雲が、これでもかと地上に冷たい
シャワーを浴びせかける。地面を打つ雨音が、耳にうるさいくらいだ。
テレビの音もろくに聞こえない。当然、洗濯物も乾かない。もうすでに出来の悪い
道路には水溜りがあちこちに出来ている。車が通るたびにばしゃばしゃと音がして、
それがまた耳障りだった。少女は不満も露に、頬を膨らませる。
「つまんない。これじゃぁ、外に遊びに行けないじゃない」
雨が降って喜ぶのはカタツムリぐらいだと思ったが、これでは彼らもうんざり
しているに違いない。窓際に頬杖をついてカーテンのかかったような外の風景を
見るともなしに見ていた少女の背後から、雨音にも負けない大声が聞こえてきた。
「やったぁー!!」
「…………!?」
空気が震えるかと思われるほどの声に、少女は目を見開いたまましばらく動く事が
出来なかった。たっぷり10秒ほど経ってから、ゆっくりと振り返る。
「な……何なの??」

少女の視線の先には、新聞を広げている少年の背中があった。少年は少女の声に
応えてその体勢のまま、近づいてきた。
「大変だよ。今日の雨、夜にはすっかり止んで晴れて来るって!」
新聞に隠れて顔は見えなかったが、その声は音符が出てきそうなくらい
嬉しそうだった。しかし、少女の顔は少年とは正反対だった。
「私は、今すぐにでも止んで欲しいぐらいだわ」
眉をひそめる少女に、少年は二人の間を隔てていた、記事のびっしり書かれた
灰色の紙を下ろして首を左右に振った。
「駄目だよそれじゃあ。夜まで降っててくれないと、意味がない」
「どうしてよ」
「どうしてもだよ」
とろけてしまいそうな笑顔を浮かべる少年に、ますます不可解だと少女は言った。
「また何か企んでるんじゃないでしょうね」
「うん」
「…………」
あんまりきっぱり言われてしまうと、返す言葉に困ってしまう。
「何を企んでるのよ」
「内緒」
「…………」
何だか面白くない。首を締め上げてでも吐かせようかと物騒な事を考える少女に、
殺気を感じ取ったのか少年が慌てて言った。
「怪しい事じゃないから、安心してよ。君に見てもらいたいものがあるだけなんだから」
「見てもらいたいもの? 何よ、それ」
「だから、それは夜までのお楽しみ」
「……ふぅん」
そうなると、無理矢理白状させたらかえってがっかりする事になってしまいそうだ。
少女は、少年の言う通り夜まで待つ事にした。
天気予報は、ズバリ的中した。剣山を逆にしたように隙間なく地上に降り注いで
いた雨は夕方には小雨になり、太陽が完全に沈む頃には少女の頬を膨らませていた
黒い雨雲は退散していた。夜の闇に包まれた空には今、黄金色に輝く満月が浮かんで
いた。

「天気予報もたまには当たるものね。最近アテにならなくなっちゃったから、
どうかなと思ったんだけど」
「そりゃそうさ。あれから半日かけて、てるてる坊主作ったんだもん。晴れて
当然だって
「…………そうね」
晴れてくれなきゃ意味がないと、半ば脅迫されて一緒に作らされたてるてる坊主が
家中の部屋と言う部屋に吊るされているのを思い出す。少女は深くため息をついた。
効果の程は定かではないが、あれをまた片付けなければならないのかと思うと胸が
重くなる。少年の事だから、しばらく飾っておこうなんて言い出すかもしれないが。
「ところで私達、どこへ向かってるのよ。随分歩いてきたけど」
家を出てから一度も立ち止まろうとしない少年に業を煮やして聞くと、彼は
ようやく少女のほうを振り返った。そして、少し先にある小高い丘を指差す。
「あそこが目的地だよ。お勧めの絶景ポイントなんだ」
普通の家くらいの高さしかないそれを見て、少女は口をへの字に曲げる。
もしかして私に見せたいのって、ここの夜景? だったら、もっと高い
ビルとかに行った方が良いんじゃないの」
「ん〜、夜景と言ったらそれまでなんだけど、ちょっと違うんだよね」
「どう違うのよ」
「見れば分かるよ」
そう言ったきり、少年は丘の頂上につくまで何も話そうとはしなかった。
黙って歩く事に少女が辟易してきた時、目的地へたどり付いた。

丈の短い草の生えた草原のように開けた場所。辺りを見渡すと、子ウサギが一匹
ぽつんと座っていた。白くてふわふわの毛皮の小動物を見て、それまで仏頂面だった
少女が笑顔になる。
「ウサギだわ。可愛い〜、まだ子供ね」
「こんばんわ。君達も月への橋を見に来たの?」
「・・・・・」
少女に応えたのは、少年ではなかった。少女は自分の耳の錯覚かと少年を
振り返ったが、彼は苦笑して首を左右に振った。……ってことは。
「う、う、ウサギが喋った!?」
頭を抱えて叫んだ少女の肩に手を置くと、少年はすまなそうに子ウサギに言った。
「ごめんね。彼女、ここに来るのは初めてなんだ」
「気にしてないよ。むしろ、喋るウサギを見て驚かない方が変なんだ」
つぶらな赤い瞳で面白そうに少女を見る子ウサギに、少年はほっと胸を
撫で下ろした。
「僕達ウサギはね、満月の夜になると人間の言葉を話す事が出来るんだよ」
「そ、そうなの……」
人間の子供の声と何ら変わらない無垢な可愛らしい声に、少女も落ち付いてきたようだ。
「ねぇ、月の橋の事は誰から聞いたの?」
「月の橋……?」
それは一体何だと聞こうとした少女を制し、少年が応えた。
「僕の父さんさ。僕も小さい頃、父さんに連れられて見た事があるんだ」
「成程。僕も父さんに聞いた事があるよ。ケガしてる所を人間に助けてもらったって。
そのお礼に、月の橋を見せてあげたらすごく喜んでくれたって。きっと、君の
お父さんがそうだよ」
「そうだったんだ……」
「ねぇ、月の橋って一体なんなのよっ」
仲間外れに去れておかんむり状態の少女に、少年と子ウサギは月を見上げた。
「説明を聞くより、見た方が早いよ。もうそろそろだと思うから」
ワケが分からないながらも、二人に習って少女は黄金色に輝く満月を見上げた。
すると、目の前で今まで見た事もない現象が起こった。
「あっ……!」
月から降り注ぐかのように、七色の虹が地上に向かって下りてきたのだ。
辺りは暗闇で色の識別など出来ないと思われたが、虹は月の光を反射して
うっすらと輝いていたので、十分色が確認できた。
「す……凄い」
まさか真夜中に虹が見られるとは思っても見なかった少女が呆然と呟くと、
少年は得意げに言った。
「驚くのは、まだこれからさ。良く見てごらん」
少年の言う通り目を凝らしてみると、小さな白い生き物が虹の上に乗って歩いて
いるではないか。彼らは一同に様々な道具を持っている。
「……あれはどう見ても。餅つき道具……ウサギが持って歩いてる……」
月から下ろされた虹の橋を、杵や臼を持ったウサギ達が一生懸命上っていく姿は
愛らしいとは思うけれど。やっぱり自分は、夢を見ているのではないだろうか。
そう思う感覚の方が強かった。そんな少女を現実に引き戻すように、
子ウサギが言った。
「満月になると、大人のウサギはああやって月へ上ってお餅をつくんだよ。
月の神様に献上する、大事なお餅なんだって」
「それじゃあ、貴方も将来は月へ行くの?」
夢のような現実に浸りながら、少女は子ウサギを見下ろした。つぶらな赤い
瞳が、うれしそうに細められる。
「そうだよ。今から、とっても楽しみなんだ」
「そうだね。僕も楽しみだよ」
うっとりと月にかかる虹を見つめる子ウサギの頭を、しゃがみ込んだ少年がそっと
撫でた
「君が大人になって月に行く日が来たら、また見に来るよ」
「本当? 約束だよ」
「うん。必ずだ」
「その時は、また私も連れて行ってくれるんでしょうね?」
こんな綺麗な光景を一人占めするのは許さないと、ジト目で見てくる少女に
少年は微笑んだ。
「もちろん」
「よしっ、約束よ」
二人と一匹は、満月に見守られながら、決して破られる事のない笑顔の約束を交わした。
 
 
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